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択捉島ビザあり交流


戦跡訪問のため内閣府のビザなし交流に申し込もうと連絡を取るも無視され返事がないので、

ビザと辺境入境証を取得し択捉島の戦争遺跡を訪問してきました。

南樺太及び占守島以南は国境未確定地との見解です。

※日本国政府により択捉島への渡航は自粛要請が出ております。

そのため今回渡航した方の名前は公表しません。

今回は純粋に戦争遺跡を紹介する観点であり、渡航を推奨するものではありません。

状況を理解した上で渡航を希望される方はロシアの旅行会社経由で申し込むことができます。

日本語で問い合わせも可能ですが、英語で問い合わせをしたほうがスムーズです。

金額は、ツアー全体で30万~と高額です。

ネット上では、サハリンに渡航してから数日かけて取得という情報がありますが、

ロシアの旅行会社を通じて、日本国内から申し込みできます。手続きはメールにてパスポートやビザのスキャンや情報のやり取りのみでほぼ旅行会社が手配しれくれます。ただしロシアの旅行会社への送金が銀行手続きのみで日数がかかります。

ビザ取得してから訪問の1か月前に申請する必要があるので、申し込みは渡航したい1月半が実質的な期限です。

択捉島の治安は不安を感じることはありませんが、空港や建物、軍事関係などロシア国内と同様撮影禁止です。

空港に降り立つと戦闘機が目に入ります。歩いて建物へ向かい迎えの人を探します。

迎えの通訳とガイドがボードをもって待っていますが、日本人が空港から択捉島へ来ることは普段ないのですぐ見つけてくれます。

預け荷物は外に出た後に小屋みたいなところで番号をしっかりと確認して持ち出します。

ガイドのセルゲイさんと通訳のランドクルーザーでホワイトロックへ観光です。

舗装はすぐなくなり一本道の砂道を進み、景色のいいところ、バラや高原植物など車を止めて案内してくれて写真もとれます。

途中広い場所で止まってランチはピクニックです。ジャガイモ、キュウリ、トマト、白身魚のフライ、黒パン、ポットのお湯でコーヒーor紅茶、そして謎のおやつ

ロシア人のトマトに対する愛着はびっくりで機内でもどこでもでてきます。

途中、タイヤの空気を抜いてオホーツク海を眺めながら砂浜を走り、観光名所ホワイトロック到着です。

足場はかなり悪く途中地面が抜けたりしながら見たこともないスモールホワイトキャニオンです。

海岸沿いの砂は黒いところは砂鉄でセルゲイさんが磁石を取り出すと砂がついてきます。

帰り道は木の実を食べられる場所で空気入れを待ちます。地元の人たちも木の実拾いしていました。

次は温泉です。

北国なので夏の陽は長く、日の入りは21時くらいです。

最近整備されたそうでガイドさんがお金を払って、個室みたいなところでお着替え。

事前にプログラムに温泉があることはわかっていたので水着を持ってきていたのですが、水着なんかいらないよと言われるので借りられるのかなと思って行くと、男性は下着で入るのが普通なようで下着で入ります。現地の女性は水着を着ていました。

露天風呂もあったり散策もできて散策路には日本統治時代か不明ですが鳥居までありました。

ちなみに旅行中すべてツアー代金でお金を持って行っても使いませんでした。ジュースとかも払おうとしても買ってくれます。お腹いっぱいなので本来含まれている夕食いらない

パスしたりしたのもあるかもしれませんが。

源泉は高温で途中で冷めたら追加したりと自分たちの入る浴槽が露天でないところは決まっています。

屋外のトイレはぼっとんだったり、移動中は野原だったり女性には厳しい面もあるかもしれませんが、建物等はきれいです。

ロシア人は下着が濡れていても気にせずズボンはいているようですが、タオル代わりに浴衣の生地のようなものがあるだけで、濡れているのは不快だったの着替えホテルを目指します。

途中、IS3という戦車があり、ソビエトは日本が択捉島に侵攻してくると本気で備えていたのがうかがえます。日本人からするとそんなわけないよと思うかもしれませんが、第二次世界大戦前を考えると無理もないですね。

紗那のホテルで夕食をとりとてもきれいな部屋で一泊です。シャワーもお湯でしっかり出て日本のホテルと変わりません。朝食には英語のメニューも用意してくれていて親切でした。

朝はホテルの近所も散歩しましたが、すれ違えば挨拶をかわし、危険な感じはしませんでした。

ロシア人というと日本人からすると怖いイメージですが、普通の人は一見無愛想ですが、おもてなしの心をもっていて親切です。

翌日は火山ツアーのはずでしたが、どうしても単冠湾に行きたいというリクエストに応えてくれて、いよいよ戦跡訪問です。

途中、フィッシャーマンズ・セレブレーションという海の日の祭りみたいなところでガイドさんのお友達とあいさつをしてメロンアイスを食べてひたすら砂利道を進みます。

途中景色のきれいなところで写真撮ったり、湧き水飲んだりしながら日本人墓地のところにつきました。

ガイドのセルゲイさんは日本人墓地の修復もしてくれています。お礼を伝えて拝んだところで、すぐ近くにあるアイヌステーションに向かいます。

アイヌの住んでいたところで、ブルドーザーで道を造成したからか、土器や石器などが地面いっぱいに広がり、環状列石のようなものも露出しています。

土器探していると、途中から日本の食器のかけらのようなもの混じって歴史を感じます。

ロシアの装甲車とすれ違う機会が多くなってくると、戦車のモニュメントや採石場で日本軍の洞窟陣地を見ましたが、現在進行形で落石しているので危険で近寄れません。

いよいよ単冠湾です。軍事施設もまだ点在しているようで、海岸沿いを走って丘の上から少し写真を撮ったら、ピクニックできる場所でランチです。

ピクニックしているとトーチカや洞窟陣地が見えます。

聞くと海軍病院跡だそうで、セルゲイさんが懐中電灯をもってきくれて探索開始です。

トンネルを抜けると海ですが、海沿いのトンネルは崩壊してしまったそうです。

少し歩いていくと洞窟に入って抜けると広い洞窟のような場所があり半分埋もれていますが、潜水艦を隠しておく場所だったそうです。

さらに洞窟も続き日本軍の壕を探検できました。

真珠湾攻撃の出撃の際に集結したことはしっていましたが、こんな陣地があったことは知らず驚きました。天寧空港のほうへ向かうと日本軍の使っていた廃墟や燃料タンク、トーチカなども残っており散策できます。

天寧飛行場は現在もロシア軍が使用しているため近くまでしか行くことはできませんが、ここに日本軍の飛行場があったんだなと実感できました。

その後、空港へ向かう途中、セルゲイさんの息子一家とBBQしたり港を訪れたりしながら空港へ

飛行機飛ばなかったら困るからとずっと一緒に空港で搭乗まで見送ってくれたりプレゼントもらったりと素敵な通訳とガイドと楽しい旅ができました。

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